20年前不登校だった私が体験談を語るブログ(仮)

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

ブログ移設のお知らせ

平素より当ブログをご高覧いただきまして有難うございます、またはどこかの記事からはてなスターを踏んで飛んできてくださった方々、有難うございます

不登校でお馴染みのみつまりです。

ブログを以下に移設いたしました

onorenomai.hatenablog.jp

移設に伴い、ブログタイトルも若干変更いたしました

旧:20年前不登校だった私が体験談を語るブログ(仮)

新:20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

お察しの通り「仮」を外しただけです。大枠のデザインはそのままです。

あと細々した所は変更しておりますが、同時にこちらのブログにも変更を加えましたので、多分自分にしか分からないレベルだと思います。

記事の更新も読者数も少ないにもかかわらず、読者登録をして下さっている心優しき皆さまにおかれましては、大変お手数ではございますが、改めて新サイトの方へ読者登録をして頂けますと大変嬉しく思います。

『読者登録はしていないけど、ブラウザやスマホにブックマークはしているよ!』なんていう陰ながら心優しき皆さまは、新サイトの方をブックマークして頂けますと幸いです。

こちらのブログは暫く置いておくか、ミラーサイトとして同じものを載せるか検討中です。

 

今後とも当ブログを宜しくお願いいたします。

 

教えて貰えなかった内観療法の結果を20年越しに母親に聞いてみた

こんばんは、23年くらい前に不登校だったみつまりです。

以前不登校になったら親に内観療法という心理療法に連れて行かれたという体験談を書きました。

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年末年始・お正月にお祝いムードな気分になれない人へ -「めでたいから祝え」という謎の圧力-

みつまりですこんばんは
本日は情報提供の為に参上しました。

こちらのブログの趣旨から若干逸れますが、今日はざっくりと「年末年始・お正月にお祝いムードな気分になれない人」への記事とさせていただきます。

年末年始と言いますと、学校は休みになり仕事も年末で一旦片付き帰省ラッシュが始まり、スーパーには高級な食材が並びそれを大量に購入する人たちで溢れ、何となく心はやる時期かと思います。

ただ、12月が1月になり2017年が2018年になるだけで本当は普段とさして変わらないのですが、何だか社会全体が「めでたいから祝え」と無言の圧力を加えてくる時期です。

この様な「社会全体の人が似たような事をする」的な時期って
単身生活者や貧困な環境に置かれている人にとっては
より一層孤独を感じやすい時期でもあります。

私が昔働いていた、とある福祉事業所には40代50代の単身生活者が割といらっしゃり、その中には、身内はご存命でも連絡を取っていないという人も少なくありませんでした。

なので、お正月は一人で過ごすという人も多かったです。

その人達に「お正月は何をして過ごされる予定ですか?」と聞いたら
『いつも通りコンビニの弁当を食べるだけ。』という答えが返ってきました

それが幸か不幸か良いとか悪いとか、その人がどう思っているのかという話ではなく、そういう人もいるよっていうお話。

私も小さい頃こそ盆正月には親戚で集まるのが好きな子供だったけれど
今では盆正月になると「帰省しなければならない」というプレッシャーで具合が悪くなります。

その事に関しては↓こちらの記事にチラッと書きました。

ですので、先述した人から話を聞いた時の個人的な感想としては
「ああ、なんだお正月一人で過ごす人って結構いるんだなー」と思ってちょっと嬉しくて

その事を知った年のお正月は、お正月らしい事は特にしませんでしたがとても心穏やかに過ごせました。

どのような境遇であれ「自分一人だけじゃない」という事は、本当に心強いものなのだと感じた次第です。

私の一人語りはこの辺までにして
以下、情報提供ですご査収ください。

 

「ひとり」にならざるを得なかった…ひきこもり当事者が恐れた「金銭問題」

【記事内引用】

「できる限りお金を使わないように、電気をまめに消したりとか、お風呂に1週間入らなかったりしたこともありました。今考えれば数円しか変わらないところに当時はとても執着していました。そうすることで、自分の寿命が1日でも延びるような気がしていました」(平野さん)

news.yahoo.co.jp

 

湯浅誠さん

【記事内引用】 

――当事者が主体となる意義とは

やはり同じような当事者にもたらすインパクトが違います。例えば私が当事者の方に「できますよ」と言っても、「そうは言っても、私たちとは違うんでしょ」という風に思われるでしょう。

 

 

「普通」「普通じゃない」の構造が変わらない限り、世の中が多様化すればするほど、生きづらい人が増えていくことになります。いずれも等価であるという価値観が生まれることが理想です。

withnews.jp

湯浅誠さんは、福祉と切り離せない貧困の問題について深い見識があり
貧困や貧困が及ぼす子どもへの影響、ひきこもり、生活保護
様々な社会的孤立についての研究と支援を行っていらっしゃいます

ちなみに先ほど述べた単身生活者の中には生活保護を受給しながら生活している方も多くいらっしゃいました(だから生活保護受給者=可哀想とか孤独とか言う訳ではありません)

見出しにするほどよく知ってる訳ではないのですが、とにかく私の周囲の福祉の人達から回ってくる情報の中で普段から頻繁に目にする人物です。

湯浅誠さんのFacebookページは↓こちらです(誰でも見れます)

 

 

本日は以上です。

『神の子』 薬丸岳 の感想文とサウジアラビア時間(作品とは無関係です)

不登校児のみつまりですどうもこんばんは、全然投稿しないのに久々の投稿が感想文ですみません。

一応、不登校ブログらしい事を少し書くとするならば・・・

私はこちらのブログで何度も『元不登校』と自己紹介しておりますが、なにぶんもう年齢が30代後半でして、義務教育が終わっちゃったものですから不登校に元と付けるしか無いだけで、今「義務教育を受けろ」と言われても多分私は学校には行かないと思います。

ですので気持ち的には現役の不登校です。

一般的な30代後半女性というと、自分ではなく自分の子どもが学校行く行かないで悩む年齢だと思います。

私には子どもはいませんが、恐らく私は世代的に言うと、このブログを見に来てくださっている貴方のお母さんと同じくらいの年代か、もしくはお子さんが不登校で「うーーん」となっている貴方と同じくらいの年齢です。

来年引退すると宣言された安室奈美恵さんが全盛期だった時代に「アムラー」だった世代です、私はノンアムラーでしたけど。

そんな子どもいない一応仕事はしている30代後半の私は今日一体何をしていたかと言いますと、朝7時位に少し起きて即二度寝して15時に起きてそこから一日中本を読んで過ごしていました。

いやね、今日は平日ですけどたまたま仕事がお休みだったんですよ、休みの日は大体サウジアラビア時間で過ごしてますので現在の体感は大体16時位ですね。

サウジアラビア時間というのは端的に言うと不登校や引きこもりの人なりがちあるあるの「昼夜逆転」の事なのですが、こちらのブログではっていうか私はそれを『サウジアラビア時間で生活している。』と呼んでいます。「サウジアラビア 時差」とかで検索すると意味が分かると思います。

昼夜逆転」ってなんかもう不登校とか引きこもりの問題行動の代名詞みたいになってて凄い悪いことしてるみたいじゃないですか。でも「サウジアラビア時間で生活してるんだな」と思えば、ああ、なんか生活してるんだなってなるでしょ?え?ならない?そうですか、本当に有難うございます。

よく分からない小噺が一段落いたしましたので、以下、感想文です。

 

『神の子』 薬丸岳

「生まれてこなければよかった」
「出会わなければよかった」
ハードカバーの帯にでかでかと書かれていた一文に惹かれて購入。

f:id:mitsumari_blog:20171220224633j:plain
生まれてこなければよかった
人はなぜ生まれ死ぬまで生き続けなければならないのか
そのような想いの根源には
「孤独」や「絶望」が潜む。

そして、その対極にある
この世に生まれて良かった
生きていて良かった
その想いを生む源は大抵
「他者との繋がり」「希望」である。

人の心はとても複雑なもので

虐待、欺き、裏切り、暴力、殺人
この様な俯瞰で見れば凄惨な事柄も、事を起こした人間の内側を紐解いて見れば、信頼や他者との繋がりに希望を見出した末に行われる行為である場合も少なくない

孤独と繋がり
信頼と裏切り
絶望と希望
対極に見えるこれらは全て表裏一体
光と影の関係である

孤独の渦中にいる他者に仲間の顔をして近付き、信頼関係を結び、希望を持たせて利用する。

自分を絶望からすくい上げてくれた人の望んでいる事が、他者の破滅であった、だからそれに加担した。

この様に
「影に光を当てて更なる影を作る」
などという事を平然とやってのける人もいれば
その関係性に陥り全てを棒にふる人もいる

ただ、そこから生まれた更なる絶望や不信感を癒すのもまた、人との関わりから生まれる信頼であったり温かさであったりもする。

これはあくまで壮大なフィクションであり
私は勿論この作中の様な経験はした事が無い

なので、こんな事を言うのは自分に酔っているさまを晒す様で気がひけるのだけれど

孤独や絶望、人との繋がりの温かさ
そのどちらにも触れた事のある人なら
この作品には心を動かされるものがあるのではないか

滅多にない事なのだけれど
数年に一度、読みながら思わず泣いてしまう程
揺り動かされる作品に出会う事があり
そんな本に出会った時は本当に嬉しくなる

この作品は、私にとってそんな一冊でした。

 

 

『コンビニ人間』村田沙耶香 - 社会不適合者の内側から見た景色 -

23年前不登校を生業としていたみつまりですどうもこんばんは。

本日は、表題『コンビニ人間』の感想を記事とさせていただきます。


これです

この本は、社会の多数派になれない女性と男性、両方の視点を通して現代社会を描いた作品です。

不登校・ひきこもり・ニート・対人関係が苦手・トランスジェンダー・障害等、社会から「異質なもの」として視線を向けられた・向けられそうだと感じながら回避してきた経験のある人は、少なからず共感できる部分があるのではないでしょうか。

世間で言われるところのいわゆる社会不適合者を誇張して、文学に昇華させた作品ですのでとても読みやすいのですが、描写が中々容赦ないです。

特に私は著者・作中の主人公とちょうど同い年で境遇や考え方もよく似ている為、良いんだか悪いんだか非常に引き込まれました。お読みになる際はご注意ください。

コンビニ人間』村田沙耶華 

多様な社会
個性を認める
ありのままの他者を受け入れる

なんていうキーワードを最近良く耳にするけれど
これには大きな矛盾がある

揺るぎない暗黙の了解として、枕詞に
「常識の範囲内で」が付くから

そして、この枕詞の範疇から溢れる人の
「ありのままの個性」は
周囲から矯正を強いられ
更生のレールを敷かれ
矯正がままならなければ
あっさり排除される

排除された個性は、時にカリスマ性を生む事もあれば、個人の命を奪う事もある

コンビニ人間
RADWIMPSの楽曲『棒人間』を想起させた

以下『棒人間』歌詞引用
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「僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

(中略)

何度も諦めたつもりでも人間でありたいのです」
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生き辛さを抱えた棒人間は、最後の最後に
「それでも僕は人間でありたい」と主張する


けれど

コンビニ人間
「コンビニでありたい」のです


いつだったか、側溝に侵入し
人を覗き見していた人が逮捕された時
その人は
「生まれ変わったら道になりたい」
と述べたという

コンビニなのに、道なのに
人間を強いられて
人間と同じ生き方をしろと言われ
さぞかし大変な思いをしたのだろう

コンビニ人間も、道になりたい人も
人間の形で生まれて来なければ
心穏やかに社会に馴染めていたのかもしれない

今はまだ、世界はそういう風にできているから。