20年前不登校だった私が体験談を語るブログ(仮)

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

学校へ行くか死ぬかの二択を迫られている人達へ ~元不登校の私より~

中学3年生の頃に不登校になったみつまりですどうもこんばんは。初めましての人は初めまして。

身近な小学生に聞いたのですが、最近は夏休み期間が学校によってバラバラだとか・・・とすれば、登校日も9月1日ではなくなってきているのでしょうか?それとも登校日は一緒で夏休みの始まる日が遅くなっているのでしょうか?

もしかしたら、明日が登校日の人もいるのでしょうか?

このブログの初投稿の記事に書いた通り、GWとこの夏休みの時期には毎年、学校に行きたくない人が「学校行きますか、それとも死にますか」みたいな二択を真剣に考えてしまっているのではないか、と、心配になります。
なぜそんな事を考えてしまうのかというと、学校に行かない事を選択した20年前の私自身が、当時本当にそのような事を考えていたから・・・いや、考えていたというよりは、そういう選択を周囲に迫られていたからです。

onorenomai.hatenablog.com

こちらの記事にも書いた通り9月1日は子どもの自殺者が最も多い日だそうです。
このブログは今後も細々と続けていくつもりですが、ひとまずは、この9月1日を目途にして、少しでも今現在生きるか死ぬかの二択に迫られているご本人やその周囲の誰かにメッセージが伝わればとの思いで開設ました。

 

学校行く?それとも死ぬ?

私自身の経験を元にすると、この言葉というのは大袈裟でも何でもなく、学校でいじめに遭っている子や不登校気味の子って8月に入った時点で既に気持ち的には9月の登校の事をずーーーーっと考えていて、8月末日にもなると

「さて明日はいよいよ登校日で御座いますが、正直このまま休んじゃいたいけどやっぱりダメだよね・・・行かなかったら親が悲しむし今後もっと行きづらくなるしクラスで目立っちゃうし近所でも噂に(中略)ならば死ぬべきか。」

というような、冗談のような二択を本気で自分に強いています。

学校に行かないという選択だけで、悲しませたくない人が悲しんだり、親に寝込みを襲われ殺されかけたり(↓詳細はこちら)

『不登校=親が甘い』という考えが甘すぎる件 ~不登校サバイバー~ -

知らない人の家に監禁されたり(↓詳細はこちら)

学校に行かなくなったら知らない人の家に監禁された話 ~内観療法~ 

周囲から排除されたり、異質なものとして見られ、具体的には友達の親から「不登校が伝染したら困るからうちの子と遊ばないで」と言われたり。私の周囲の不登校経験者にも同じような経験をしている人がいるので、実際にその様な経験をしたり、そんな風になる事を予見した子が耐え切れずにこの世を去ってしまうのではないかなと私は想像します。
そして、私はそんな人達を何とか引き留められないかと考えています。

↓こちらの記事にも書いてあります。

futoko.publishers.fm

不登校新聞さんは、毎年この呼びかけを行っていらっしゃいます。

futoko.publishers.fm

 

個人的二択の回答

さて、中学3年生で不登校になり30代後半になった現在、平和に生きている私といたしましては、学校行くか死ぬかの二択問題の答えは
『学校行かない』の一択です。実際私はそちらを選びました。
と言われたところで、きっとこれをご覧になっているかたは
「そう言われても、あんたにとっては昔の事なんだから言うのは簡単だろう。」
「他人事みたいに言うのは簡単だけど、実際その後どうすりゃいいの?」
と思われるのではないかと想像します。
ですので、私の現在持っている知識の範囲内で学校に行きたくない理由別・学校に行かなかった場合のその後の生き方を纏めましたので、以下ご清覧いだけますと幸いです。

 

学校行きたくない理由がイジメ編

もし学校に行きたくない理由が「イジメに遭っている」であれば全力で逃げましょう。

逃げたら負けな気がするとか、逃げた事をまた笑いものにされたらなどと考えるかも知れませんが、あなた(ってもはや誰に対して喋っているのか分かりませんが)のコミュニティなんてショボいもんです。

学校が好きでどうしても行きたいなら別ですが、実際はそうでもなくて、でも親を困らせたくはないし皆行ってるし何となく行かないとダメな気がする・・・。という理由なら、あなたの親を困らせているのは貴方ではなく貴方をイジメている相手ですので全速力で逃げましょう。

毎日のように紛争や災害や犯罪で命を落とす人がいて、命にかかわる病気を抱えながら懸命に生きている人が沢山いるこの世界で「○○中学の△って奴が学校来なくなったんだけどwww」という話題なんて正直そこのコミュニティの人以外誰も興味無いです。

コミュニティ内だって、下手したらそこの中の多数が(仲間外れにされたくない)とかいう理由で仕方なく付き合ってる事も少なくありません。

もし暴力を振るわれていたり(言葉の暴力も含む)金銭を要求されていたりするならそれはもう犯罪ですので大人を巻き込みましょう。

具体的には、私ならばそうですね・・・例えば警察に話す、都道府県の教育委員会に電話する、それらが相手にしてくれなければその上の文部科学省に連絡。それでも無理ならその全てを録音しておいてマスコミに話しますかね・・・。相談ではなく巻き込むのです。

「いやお前、ここまで書くならもっと具体的な相談先教えろっていうかお前が相談に乗れよ。」と言われれば、ええそれはもう仰る通りなのですが私はいち経験者でありここは私の体験談を伝えるブログです。専門家ではありませんので相談には乗れませんご指摘本当に有難うございます(←これが逃げ方。現代で言うスルースキルってやつですね)

学校休んだ後どうすれば良いか分からない編

学校休んだ後どうすれば良いか分からない人、バイトはどうでしょうか。
年齢や精神的にバイトが無理ならボランティアを募集している団体も沢山あるのでボランティアという選択肢もあります。
ボランティアといっても人の為にしなければならないと言う訳ではありません、自分の為です。ボランティアは善行でなくても良いと私は思っています。家庭と学校以外に自分の所属先を作る事が目的です。
人の目が気になって、人が怖くて外に出られないなら、今は無理に出なくても大丈夫です。
ただ、あなたの所属できる場所は学校以外にも沢山あるという事だけ知っておいてほしいです。
これについては、いつか関西地域のご紹介できる先をこちらのブログに掲載出来ればと考えています。

学歴が必要だと思う編

『大手企業に勤めたくてその為にはまっさらな学歴が必要』だという人。

現時点で学校という社会集団に疑問を感じているのに一度も挫折をした事の無い人しか雇わない(そういう人達しかいない)企業や団体に所属した自分を想像できますか?しんどくないですか?

いや、もちろんこの年にもなると、年収1千万越えとかの、とんでもない年収格差がある友人もいるんですけどね・・・しかし学校に通った人が全て数千万円数億円のマンションに住めるかと言ったらそうでは無いですし、大学まで出てても何やかんやで生活苦に陥ってる人もいます。

私は通信制高校卒ですが、同級生には美容師の専門学校に進み、美容師になって現在は経営者としてヘアサロンを全国展開している人もいますし芸大に行って夢を叶えた友人もいます。

元不登校児は今 〜学校へ行かなかった大人達〜 

どうしても王道学歴レールで行きたいと考えているならそれは私には出来なかった生き方なので、それはそれで凄い事だと思います。

将来の夢が学歴必須編

『自分の将来なりたい職業の資格が学歴必須』という場合もありますね。

でも、今なら単位制高校も沢山あるし、大検からの大学受験も可能です。

昔「37歳で医者になった僕」というドラマがありまして、タイトルの通り30代後半で内科医になった人のお話だったのですが、実話を元にしているそうです。

37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜 - Wikipedia

という事は、将来医者になりたい場合、30代から動いて間に合うという事が実証されています。
要するに何が言いたいかというと、今あなたがいるその学校が全てではないという事。
少なくとも、生か死かを選択するに値するほど重要なものではないはずです。
私には「協調性が無い」「集団行動が苦手」などの特性がありますが、それは学校に行かなくなる以前からの特性であり、学校にそのまま行っていたところで改善していたとは思えませんし社会に自分の内面を合わせて行くより「ありのままの自分」を認めてもらえる社会の方が、自分らしく生きていき易いと思うのです。

 諦める・辞める勇気

大丈夫です、貴方が学校に行かなくなって親が困る理由なんて「社会に対する体裁」以外無いのですから(もし保護者のかたがご覧になっていたらごめんなさい)。

親の顔色を気にして生きるなら親の期待は底無しだという事を知っておいた方がいいです。今無理して学校に行ったとしても、その事については何も評価はされず「もう少し成績が良ければ。良いお友達に恵まれれば。良い進学先へ。」と続き、学校を頑張って卒業したらしたで「安定した就職先へ」という期待が待ち構えています。

そして「そろそろ結婚は?」となり結婚したらしたで「孫の顔が見たい」と言われます、この類の期待は永遠に終わりません。

自分の全人生を掛け命を懸けてまでそれに付き合う覚悟があるなら、私は決してそれが悪い事だとは思いませんし、私には出来ない生き方なので素晴らしいと思います。

弱みを強みに

社会には正規ルートから外れた道を選択して現在に至る」という部分を評価してくれる人もいます。

私がこんな風に「学校なんて行かなくていいよ!」と声を大にして言えるのも、実際に私がその道を辿ってきた「元不登校だったから」であって、普通に何の不都合も感じる事なく学校に行っていた人生なら不登校に悩む人の心は分からなかっただろうし、分かりたいと思っても「お前に何が分かるんだ」と言われたら返す言葉も無かったと思います。

私は非常に自己肯定感が低い人間ではありますが、こんなありのままの自分でも良いんだなと考えられる様になったのはこの20年の歳月でありのままの私を全力で肯定してくれる人達との出会いに恵まれたお蔭です。もし、貴方の周囲に貴方の行動を肯定してくれる人がいないというなら、ここのブログに来てもらえればと思います。

私はこちらのブログで学校に行かない道を選択した貴方の生き方を肯定し続けます。

あと、この記事の中盤で私自身は直接相談には乗れないと書きましたが、ツイッター(プロフィールの所にリンクあります)やってますのでそちらへ気軽に声をかけていただければと思います。ツイッターやってない人や、出来ない年齢の人はコメント欄(非公開)にメールアドレス等書いていただいたら出来る限りご対応します。

 

周囲の人へ

onorenomai.hatenablog.com

以前こちらにも書きましたが
周囲の大人達も、身近な子が学校へ行かなくなったら
まずは「登校」「通う」「学校」「スクール」という言葉から解放される事が先決だと思います。
当事者は周囲の心の機微を非常に敏感に感じ取っているものです。
不登校当時の私は「あれ?今日は学校休み?」という大人にしてみればどうという事でも無い質問をされる事を極端に恐れ、周囲に不登校が知られてしまうのではという不安から平日の日中には外を歩く事も出来ませんでした。
しかしながら、そこまで極度に不安を感じていた発端は、やはり「学校へ行っていない=異常な事」という社会の認識を周囲の対応から感じ取っていたからだと思います。

「行きたくない」という言葉を
『生きたくない』に置き換えてみてはいかがかと思います。

元不登校児は今 〜学校へ行かなかった大人達〜

こんばんは、元不登校のみつまりです初めましての人は初めまして。

私の周りには、現在20代〜30代の「元不登校経験者」「高校中退経験者」の友人が結構います。 

私達が学校に行かなくなった頃は、今のようにネットも普及しておらず、というかネットがまだこの世に存在すらしていなかったので、一般の人がブログやSNSで情報を発信する事など出来ませんでした。

なので、不登校になりたての頃「こんな道を外れた未来の無い人間はきっと世界で自分1人だけなのだろう」という漠然とした不安を感じていました。

今このブログをもし見てくれている人が、現在学校に行ってなかったり引きこもっていたりしている人ならば、このブログを通じて「同じ様な経験をしている人は自分一人じゃないんだ」と思ってもらえればなーと、そんな風に考えています。

という事で、本日は、冒頭に書いた元不登校児をはじめとする「学校ドロップアウト組」が20年の時を経た今、どうしているのかをご紹介したいと思います。

 

共同ブロガーの2人

私はこちらの個人ブログ以外にもう一つ、ネットで知り合った知人と3人でブログを運営しています。

cake-peropero.hatenablog.com

現時点の最新記事が私の公序良俗に反しかねないド下ネタ記事なのでお目汚しになり大変申し訳ないのですが、偶然にも、こちらのブログを一緒に運営している共同ブロガーの2人も昔不登校だったそうです。

カメノセタロウは小学校の頃不登校を経験。その後、中学校高校は休みがち、大学は三回生からの二年間試験以外は1度も授業へ行かず、就活も数社しかせずそのままニート(ここまで本人談)、と言いながらその実はバイトでお金を稼ぎつつ頻繁に海外長期旅行する生活を経て、現在は毎日「誰か養って!」と叫びながら女性のヒモになる事を日々夢見ている会社員です。

高木よーへい(20代男性)は小学校5年生の月に10日程しか登校せず(本人談:ニュアンスがあれやけど不登校期間小5の数ヶ月だけやねん、なおしてもなおさんでもええけど!)の微登校。その後中・高・大を経てメディア関係に勤め現在は某所へ出稼ぎに行っています。

 

友人ピー

またまた共同ブログの宣伝のようになり恐縮なのですが、こちらの記事に掲載した私の友人ピーも中学校から不登校

ピーと私は同じ学校だったのですが、2人とも同時期に中退し、ピーは暫くフリーターを経た(と思う)のちに、昼間部がある定時制の学校に入学。ピーはその高校を、休みながらもすごい根性で6年くらいかけて卒業。アイドルの追っかけやPCのオンラインゲームに嵌りつつも過去にはインラインホッケーロードバイク等々幅広い趣味を持つ会社員。cake-peropero.hatenablog.com

 

友人T

大人になってから知り合った友人のTくん(30代男性)は小学校から不登校そのまま義務教育を行かずに自宅で過ごし10代後半の頃に生まれ育った地方から東京へ上京。某新聞社で働く→とある身体障害当事者と出会い、その当事者宅で住み込み介助者として働く→大阪にて障害者福祉事務所に勤める→そこで偶然出会った障害当事者と共に大阪南部に活動拠点を移してNPOの自立生活センターを設立。現在は一人娘のお父さん。(T君もし見てくれてて間違ってたらご指摘お願いします)

彼は私と同様に、学校へ行っていた時に嫌な思いをしたというよりは『学校へ行かなくなってからの自分に対する周囲の人の手のひらを反すような行為』に対して深く傷つき大きな疑問を抱いて生きてきた人で、彼の不登校の頃の話を聞くと共感できる部分が多々あります。

読書家であり、障害の分野に拘らず人の生き辛さについて幅広い関心と知識を持っていて常に情報のアンテナを張っている人です。

 

通信制高校で出会った友人達

Sちゃん(40代女性)は中学校の頃非行に走り、色々あったそうで。通信制高校から大学進学。現在は2児の母であり、大阪で一番治安の悪い地域の福祉課で相談支援の仕事をしています。

Kくん(30代男性)は、通信制高校在学中に先生からのアドバイスで一生懸命探した「憧れていた職種のアルバイト」が転機となり、その道を目指して大学に進学。自分のなりたかった職業に就きました。

Mくん(30代男性)は、確か通信制高校から私と同じ情報系の専門学校に進学。その後電気回りの修理や施工を請け負う会社を自営で営んでいます。

Tくん(30代男性)は、通信制高校から美容専門学校に進み美容師に。全身タトゥーが物凄いですが、そういう分野?に特化した一部の人達の間では有名なサロン?で現在は全国各地に店舗を構えている代表。たまにクラブDJとかもしている模様(Facebook情報)

数年前の同窓会で再会した、昔はギャルのような子だった女の子達は落ち着いたお母さんになっている人が多かったです。

 

まとめ

と、色々な人の現在を文字にしてみましたが、本当か嘘か分からないような曖昧な情報をイニシャルで記したところであまり意味が無いかも知れないなと思いつつ・・・

あと許可なく勝手に書いちゃってるんですけどみんなごめんね、もしこれを読んでくれててアカン感じだったら連絡ください。

冒頭にも記した通り、このブログを通じて「同じ様な経験をしている人は自分一人じゃないんだ」と、そして「学校行かなくても何とかなる」というのは気休めの言葉では無く本当に何とかなっている人って沢山いるんだなと、そんな風に感じてもらえる事を願いながら、本日はこの辺で。

学校に行かなくなったら知らない人の家に監禁された話 ~内観療法~

登校拒否がなぜ不登校に改名されたのかどこがどう違うのか分からない20年前に登校拒否児と呼ばれていたみつまりですこんばんは。初めましての人は初めまして。

本日は、少し長文ですが手書きの絵を添えて学校に行かなくなった直後の思い出深いエピソードを・・・。

『宝くじが当たったら、どこから話を嗅ぎ付けたのか分からない謎の団体が寄付を求めてきたり、変な人が寄ってきたりする』という話はよく聞くものですが、それと似たような感じで私が学校に行かなくなった初期の頃も、弱っている我々家族の負のオーラを嗅ぎ付けた人々が各方面から寄って来ました。

そして、数々のそれに私達は、中でも特に母親は見事に引っかかりまくりました。

ある時はタンスの上に水らしき物を祀り、山奥に良い祈祷師がいると聞けば私の肌着を持って会いに行き、登校拒否専門の家庭教師を派遣するという謳い文句で高額のペラい教材を売りつける会社と契約を結び・・・。

かくいう私も当時は弱っていたので、母親の知人の熱烈な勧めにより、その知人が崇拝している超マイナーな新興宗教の総本山に連行され、「おや、こんな山奥に大阪城ホールが?」と思う程の巨大なホールで教祖の有難いお話(しかも衛星中継)を聞いたり

なんか畳屋の2階に霊媒師がいるとかで行ったらまじで畳屋の2階にお札の張り巡らされた部屋があってそこでお祓いをされたり・・・。

とか、なんか今になって思えば色々と面白い体験をさせていただいたのですが、その中でも特に強烈だったのが「人の家に一週間軟禁(監禁?)される」という心理療法でした。

※今からこちらに書く体験は実在する心理療法のようですが、経験した私の率直な感想をそのまま書かせていただきますので推進している人におかれましては不適切に感じる部分もあるかと思います、ご了承ください。 

 

監禁は突然に

その日は突然訪れました。

母親から「来週(民間カウンセラー)先生のお宅に1週間泊まってきて」みたいな事を言われ「1週間泊まる・・?それをすればお母さんが満足してくれるのなら行きますですはい(←もう麻痺してる)という事で、私はとある民間カウンセラーのお宅に一週間お泊りする事になりました。

(泊まりに行ってる間はそれを理由に学校行かない事を許されるから良いか)みたいな感じでほぼ何も考えずに翌週訪れた先で待ち受けていたのは、客人に対するおもてなしでもセミナー的なものでもなくまさかの6畳一間での監禁生活。

しかも、そこには全然知らない2人の先客が居ました。当時の私がもしツイッターをしていたら恐らくスマホは取り上げられていたとは思いますが6畳一間に全然知らん人と3人で監禁されて草」とか発信していた事は間違いないと思います。

そこで行われるのが『内観療法』という心理療法だと知ったのは、その場所に着いて、カウンセラーと対面した時でした。

 

内観療法とは

内観療法 - Wikipedia

臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)のこと。
母、父、兄弟、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わり
・してもらったこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと
の3つのテーマにそって繰り返し思い出す。

と、天下のWikipedia様にも丁寧に説明が記されてありますが、当時15歳の私にしてみればそんなもん知らんがなというお話。

とはいえ一応ここは日本ですし、心理療法とか言ってるって事は多少なりともカウンセラーを名乗るお婆さんも人の事を良くしてあげよう的な気持ちでなんか知らんけどやってくれてるんだよね?別に犯罪を犯した訳でも無いし、6畳の部屋からは出られなくてもその中ではもちろん自由だよね?

なんて思った私が甘かった。

6畳に通された私と2人の他人は、ショボい屏風みたいなつい立てを設置され、そこにできた半畳のスペースに入れられ、今日から一週間就寝とお風呂とトイレ以外の全ての時間をその半畳で過ごせというものすごい謎ミッションを与えられました。

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上からの図、たったの半畳だから横にもなれない。ここで168時間耐久生き地獄レース

で、その半畳で何をするかというと、繰り返しになりますが

母、父、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わりの中で
・してもらったこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと

というのを母親の体内からこの世に出た時まで遡って一日中一週間その事について思い出せという事なんですけれども

いや知らんがな

お婆ちゃんがたまに聞きに来るからサボるなよ、ちゃんと思い出した事を言えよと

いや知らんがなと、生まれ落ちた時の事なんて知らんがなと

しかし往年の電波少年よろしく突然知らない所へ連行され半畳スペースに軟禁された15歳の私に脱獄する勇気などなく、母親から「とりあえず一週間やり切ったら最後に偉いらしき人から総評みたいなお言葉が聞ける」と言われ

もうこれ・・よーわからんけどやるっきゃないとなり最後の総評だけを楽しみに反抗的な面は一切表に出さず素直に取り組みました、私ってこの頃からポジティブだったんですね。

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なんていうか、人間って半畳のスペースに屏風で監禁されたらよくわからない派手なお婆ちゃんからの総評を楽しみに生きられるようになるんだな、人間の可能性って凄いなって思いましたよね。

 

今の自分だったら5秒で帰ってると思いますけど、当時の私はよく頑張ったと思います。

よく分からない療法を一週間やりきりました。

一週間経った頃には、私はもうお婆ちゃんからの総評が楽しみで楽しみで仕方がなくなっていましただってそれ以外楽しみないからね。

しかしその168時間に及ぶ努力と期待は微塵に崩れ去る事になります。

私を迎えに来たついでに、私よりも先にカウンセラーから総評を聞いた母親がなぜかブチギレて6畳の部屋に勝手に侵入し私の手を引いて帰ってしまったのです。

いやいやいや・・・何を言われたのか知らんけど、この療法に何十万支払ったのか知らんけど、こっちは168時間やり切ったんですよ、分かりますか168時間を半畳のスペースで過ごしたんですよ何でもいいからせめて総評聞かせてよって思いましたよね。

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 オチの母親ブチ切れエピソードも含めて本当に酷い話ですけど、これは大人になってからの私の「不登校エピソード笑い話部門」の鉄板ネタになったし、こうしてブログのネタにも出来たので、今ではプラマイゼロかなと思っています。

それにしても母親はあの時一体どんな総評を聞かされたのか、この話を思い出すたびに気になっているので、今度改めて聞いてみようと思います。

「そんなに親を悲しませて何がしたいの?」という不思議な質問が凄い腹立つ ~不登校になった直後の事~

不登校になった直後、一番気がかりだったのは自分の事ではなく「我が子が学校へ行かない」という青天の霹靂が受け入れられず錯乱状態になっていた母親の事でした。

母親は、学校へ行かなくなった我が子を前に、錯乱状態で毎日毎日自分を責めていました。

その動揺ぶりは、不登校という世間の常識から逸脱した行為を行っている私ですら(常軌を逸してるな・・・)と思うほどで(もしかしたら母親はこのまま自殺するんちゃうかな)とも思いました。

うちは戸建で2階に自室を与えられていたので、基本的には1日中自分の部屋に居ましたが、母親の事が心配で、夕方になると必ず1階まで音を立てずに降りて行き、リビングの電気が点灯しているか否かで母親の生存確認をしていました。

 

ある日の夕方、リビングを覗くと

普段は電気が灯っているはずの家中が真っ暗

ヤバイと思った私は母親の捜索開始

暗闇で耳をそばだててみたところ、お風呂場付近からシクシク・・シクシク・・というすすり泣くような声が・・・

脱衣所を覗き込んだら、閉め切っている真っ暗なお風呂場の扉の向こうにどうやら母親がいる模様。

(とりあえず声で生存確認出来たけどお風呂場で泣くってどういう心理状態・・・これはこれで怖い。)

とビビりながらもお風呂場の扉を開けたら、お風呂場の床にうずくまった母親が

「全部お母さんの責任なのどうのこうの(←忘れた)ごめんねごめんね」と言いながら泣いていて、その周りを当時飼っていた犬が心配そうにウロウロしていて、うわぁ・・と思ったけどまあ死んでなくて良かったよね、うん。なんて思いつつ呆然としていたら

最悪なタイミングで父親が帰宅。

 

一連の状態の私達を見た父が、私をリビングに連れ戻し、私に一言

 

「(みつまり)は何でそんなにお母さんを悲しませたいの?そんなに悲しませて何がしたいの?」

 

いや、お父さん・・・違いますそれは違いますお父さん、私がお母さんを悲しませたいなんて思ってる訳無いでしょ、むしろ自分の事より心配なんですよ、なぜそんな事を言うのですか?

ていうか私が学校に行かない事の何がそこまで悲しいのですか?具体的にどういったところが涙を誘う感じなんですか?不思議とか物珍しいとかずっと家にいるから邪魔とか目障りとかなら何となく分らなくはないんですけど、なんで「悲しい」のですか?

 

貴方がたは私が学校に行かないと言っただけでそうやって2人してなぜそんなに私を責めて悲しませるのですか?

 

3人しかいない家庭で、しかもこちらは子どもですよ

私があなたの目の前でこうして泣いたって、あなたは母親の味方でしょ

なぜいつもいつも母親の味方に付くのですか?

 

2対1でタッグを組んで絶対的に立場の弱い人を責めて、逆に、あなた方は何をしたいんですか?

 

答:学校へ行かせたい。

 

なにこの禅問答

この頃は、何かに憑りつかれたかのように「学校学校」という大人に囲まれこの世にこんな人間しかいないなら私はこの世では生きていけないなと本気で思っていました。

 

『学校へ行くことだけが生きる全てではない。』

そういう考えを持っている人がいる事、同じような経験をしてきている人達が、本当は沢山いたのだという事を知るのは、ここからずーっと先のお話。

 

 

挫折を強みに弱さを優しさに ~故・金馬宗昭先生に捧ぐ~

不登校だったみつまりですどうもこんばんは、初めましての人は初めまして。

 

こちらのブログは、20年前に不登校だった私が現在絶賛不登校中もしくは超絶引きこもりまくりな貴方や不登校のお子さんをお持ちの貴方、自分も昔不登校だったよっていう貴方に向けて書いています。 

 

本日は、記事タイトルの通り昨年末に他界された恩師についてお話したいと思います。

個人的なFacebookに掲載した文章を加筆修正したものです。

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なぜ良い人ほど短命なんでしょう

いえ、そんな事頭では分かってるんです

でもなんでこうなるのかな、って。 

 

15歳で不登校になり

「学校大嫌い」「教師は利用してなんぼ」

なんて思っていた私が後に恩師として生涯慕う事になった方が、他界されました。

 

ご自身が人生の中で大きな挫折を経験し、ひきこもりとして苦悩してきた体験を、その後の人生の中で最大限に活かして来られた方でした。

 

私達のような「人生ドロップアウト組」を受け入れてくれるような場所がまだまだ少なかったあの頃理解してくれる大人なんて居なかったあの頃に

 

ふと現れて、気付けば
隣に静かに寄り添ってくれていたような人でした。 

 

通信制高校の非常勤講師から教頭を経て、不登校や引きこもりの当事者と、その家族を支援する事業所を立ち上げたばかりで

遺作となってしまった
不登校 ひきこもり こころの道案内』は

昨年の7月が初版で


きっとご自身の中でも、人生まだまだこれからだったのではないかなと思います。

 

数年前に伺わせてもらった『不登校引きこもり親の会』という所で開催された講演会で、先生は自身の経験を語り、現在苦しんでいるであろうまだ出会っていない人達の心を想像し、堪え切れずといった感じで溢れる涙を抑えながら「お子さんがたの辛さをどうか分かってあげて欲しい」と訴えるようにお話されていたのがとても印象的でした。

 

当事者だったからこそ分かる、当事者にしか分からない辛さに寄り添う事の出来る、強さと弱さと途方もない優しさを内に秘めているかたでした。

 

通信制高校在学中
根っから人が集まるところ嫌いのひきこもり体質だった私はバイトだの何だのでまともに通学する事なく、先生にとって私は育て甲斐のない生徒だったと思います

 

一期生として初めて関わった日から、年を重ねるごとにお忙しくなっていった先生にとって、私は何百人何千人と出会ってきた生徒のうちの一人でしかなかったと思います

 

でも、私にとっては
人生の要所要所でふと顔が見たくなるような、そして、数年ぶりに会いに行ったら私の事をちゃんと覚えてくれていて、いつも変わらない笑顔で迎えてくれる
そんな人でした。

 

毎年送ってくださる年賀状には
「元気ですか?また会いたいね!」と
必ず一言を添えてくれていました。

 

通信制高校時代に同級生が他界し、その知らせを聞かされた後、皆が散り散りに教室を出ていく中、まだまだ幼くて、あまりの驚きとショックで涙が止まらずいつまでもその場から動く事が出来なかった私に
「僕も知った時は凄くショックでね・・・」と
私が泣き止むまで、自分の胸の内を語りながら長い時間ずっと傍に寄り添ってくれていたのも先生でした。

 

なんだ、私と一回りも離れていなかったんだなぁ・・・

とか

 

ああ、先生と私が出会ったのは先生が28の時だったのか、あの時の先生は今の私より9歳も下だったんだなぁ・・・

とか

 

生徒の成長も楽しみだっただろうけど
一番の楽しみは、これからまさに
自分が見てきた生徒達と同じ年頃に差し掛かる
息子さんと娘さんの成長だったんじゃないかなぁ
とか

 

回想し始めるとキリがありませんが
先生が他界した衝撃や哀しみを分かち合える友人がいるのも、あの頃、あの場所にいた先生達が私達の関係を繋いでくれたお蔭なんだろうな、と。

 

私は「亡くなった先生の分まで生きる!」
なんて宣言できるような人間ではないし、いまだに人生迷走中ですが

 

弱い分だけ優しくて強かった先生をお手本の一つとして、これからも人と関わり残りの人生を歩みます。

 

先生、また会いたいです。

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金馬先生の生前のご活躍は、私がこのブログを始めようと思った原動力の一つであり、こちらの記事に書いた想いは自分なりの弔いでもあります。

 

というのも、先生が他界された後、有志の方々により先生を偲ぶ会が開かれたのですが、これだけの長文をつらつらと綴っておいて何なんですけれども、当然行く予定にしていた私は当日になりまさかの「理由特に無し」で欠席。

 

自分でも何なのマジアリエナイという感じですが、そんなぐだぐだな部分も含めて自分なんだなと受け入れて、今の自分に出来る事をしていきたいと考えています。

 

世間はお盆という事で、だからという訳でもないのですが・・・僭越ながら、この記事を通して生前の先生の情熱がどなたかに伝われば嬉しく思います。