20年前不登校だった私が体験談を語るブログ(仮)

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて~元不登校の人間より、周囲の人達へ~

人間って本当は夜行性じゃないのかなと密かに思っているみつまりですどうもこんばんは、初めましての人は初めまして。

こちらのブログは現在絶賛不登校中もしくは超絶引きこもりまくりな貴方や不登校のお子さんをお持ちの貴方、自分も昔不登校だったよっていう貴方に向けて書いています。

本日は、当ブログのサブタイトル

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

についてお話したいと思います。

 

9月1日は『子どもの自殺が一番多い日』という事を皆さんはご存知ですか?

futoko.publishers.fm

www.huffingtonpost.jp

 
これらの記事によりますと、毎年9月1日に100人以上の子どもが自殺で亡くなっているとの事。

それがいじめによるものなのか機能不全家族なのか虐待なのか、何が理由かは明確にされていませんが、原因が学校の登校日初日である事は間違いありません。

私がこちらのブログを開設したのは

自分の命を懸けてまで学校に行きたくないと考えている人の気持ちが分かるからです
私もそうでしたから。

 

学校に行かない

 

たったそれだけの選択・行動で、その子を取り巻く環境の大きな変化、周囲の無意識に発せられる心無い言葉に呑まれ、本人に対して手のひらを返すような周囲の人達の対応に深く傷付き自らの命を天秤にかけてしまう程追い詰められる状況というのが本当に存在します。 

 

不登校の人と対峙した大多数の人がまず考える事は
『なぜ行きたくないのか』『なぜ行けなくなったのか』『どうすれば行けるようになるのか』という事かと思いますが

本人も周囲の人もまずは「登校」や「通う」や「学校」という言葉から解放される事が先決です。

 

多くの保護者がこのような事を言います

(そうは言っても、もし学校から離れる事でそのままずるずる引きこもりになったら・・・)

(学校行かないと将来絶対苦労すると思うし・・・)

(親として子どもの幸せを考えるなら無理にでも学校に行かせるべき)

これらの言葉は、笑い話の一節『健康の為なら死んでもいい。』を本気で言っているのと同義だと私は感じます。

『将来の為に今死ね』と言っているように聞こえます。

冒頭にご紹介した記事にある通り、自殺者数が数字となって証明されているのが現実です。

 

子どもはまず、家庭というコミュニティで社会の第一段階を学びます。その第一段階の世界がほぼ全ての子どもにとって、親の言葉の影響力は絶大なるものです。

学校に行かない事に関して親に気苦労を掛けるだろう事くらい本人は十分なほど分かっています。態度に現れていないように見えても、心の中は痛いほど、それこそ死にたくなる程理解していると思います。現時点で色々な事が上手くいっていないのですから、将来に対する不安だって底無しです。

そこへ「学校に行かなければ将来経歴に傷が云々、そんなに親を悲しませて何がしたいの云々、あなたの為に云々」という言葉がけは、傷に塩を刷り込むどころか抉るようなもの。

本当に子どもが死んでしまっても良いのですか? 

これを読んで下さっている方がもし不登校になっている子の親であるなら、お子さんが生まれた時を思い出してください。

私は子どもを産んだ経験が無いので、想像でしかない上に差し出がましい物言いかも知れませんが、お子さんを出産した直後の気持ちは『生まれて来てくれた』その事実だけに感動し、感謝し「とにかく無事に育ってくれさえすれば」みたいな事を考えませんでしたか?

しかし今はいかがでしょう

「とにかく無事に育って(そして優しく、明るくという程ではなくても良いけどなるべく陰気ではない感じでなるべく健全な友達に恵まれ人を傷つけず迷惑もかけず非行に走らず学校に行き適度に運動もして身心ともに健康で出来れば大学まで出て安定した職に就き自立して適齢期に結婚をして孫の顔を見せてくれて出来れば自分達の老後には多少介護的な事をして)くれさえすれば」じゃないですか?

子どもが死んでしまってはじめて「ただ無事に生きてくれてさえいれば」と思っていた気持ちを思い出しても遅いのです。

とはいえ私の親は、こちらの記事にも書いた通り

onorenomai.hatenablog.com

『学校行かないくらいなら死んでくれた方がマシだ』と本気で思っていたようですし、今も恐らくそのような気持ちなのかなと思いますので本気でそう思うなら否定はしませんが・・・。

 

当ブログのサブタイトルを『「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて』にしているのは、その様な理由からです。