20年前不登校だった私が体験談を語るブログ(仮)

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

映画『嫌われ松子の一生』についての個人的解釈

不登校児で現けきぺろ共同ブロガーのみつまりですこんばんは。初めましての人は初めまして。

本日は、こちらの映画の解釈を記事とさせていただきます。不登校とあまり関係がないように見えますが、こちらの作品は「多数派からの逸脱、家族との関係性、未発達な自己肯定感・承認欲求、生き辛さ」という不登校と共通するキーワードが多く含まれています。

嫌われ松子の一生

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監督:中島哲也 主演:中谷美紀
原作:山田宗樹(未読です)
※ネタバレ含みますご了承ください。

あらすじは、タイトルの通り松子という女性の一生を描いたものです。もう少し詳細に言うと、いつも一生懸命なのに生き方が下手なあまりに七転八倒する女性の転落人生を描いたものです。

ライブDVD以外はほぼレンタルで済ませるっていうか一度見た作品は付き合い以外では二度以上見る事のない私ですが、この作品は愛蔵版を購入したほど好きな作品。邦画の中で一番好きな作品です。

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でかい

この映画を鑑賞後に閲覧したレビューでは「松子は沢山の人に愛を与えた」との感想が多く見られました。あと「最後の最後で本当の愛を見つけた」とか。
私の感想としては「うーーん、松子の一生があまりにも凄惨だったから美化してあげたい的な心理が働くのかな・・・。」という感覚で。

以下、個人的な解釈です。


松子は「沢山の人に愛を与えた」のか?

確かに過去を振り返ればそうかも知れません、ですが、それは決して松子がマザーテレサのように慈愛の心に満ちていたからではありません。

沢山の異性と関わりながら・・・端的に言うと男をとっかえひっかえしながら生きる事となった結果論です。

松子が愛を与えた理由は「愛を与えてもらいたかったから」彼女は常に愛情の見返りを求めていました。

松子はどうしようもないくらい愛情に飢えていた女性だったのだと私の目には映りました。そして、愛され方を知らない女性でもありました。

 

致命的な父親との関係

その全ての根源は、父親との関係性にあります。
家族の(特に父親の)関心は、幼い頃から病弱だった妹にすべて注がれ(ているように松子には見えた)、何をしてもどんなに頑張っても結局は妹に向かう父親の関心、報われない想いに対する失望。

松子の心は満たされずに育ちます。

「このようにすれば人から愛されるのだ」という成功体験を経ていない為、愛してもらう方法が分からない松子。

松子の愛情の飢えは、例えるなら砂漠に置き去りにされ遭難している人のようなもの。
砂漠で遭難中の人にコップ一杯の水を与えただけではどうにもならないのと同じで、愛情を渇望している松子の心は、その他大勢の中の1人として愛される友情のような関係性では満たされないのです。
他者に対して「父親に求めていたレベルの愛情」を求めます。
そうでないと松子の心は満たされないのです。

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松子が父親を独り占めできたひと時

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それは夢のようで

 

他者との距離感がわからない松子

自然な成り行きとして松子は「相手にとって自分1人だけが特別な存在」として成立しやすい異性との恋愛に溺れて行きます。

誰かに愛されたくて愛されたくて愛されたくて、自分を愛してくれさえするならそれこそ誰でもいい。暴力を振るわれようが愛人的ポジションだろうが暴力団員に謎の密売の役を買わされようがなんでもいいただただ愛してくれさえすれば。

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蹴られても

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殴られても

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もう何が何だか分からなくても

「愛される」という経験を知らない愛され方を知らない松子のたゆまぬ努力は当然ながら全てが場当たり的で空回り。

松子は作中で『なんで?』という言葉を何度も呟きます。

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なんで!

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なんで?

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なんで

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なんで・・・

そもそも他者が「父親の代わり」になどなれる筈無いのです。

頑張っても頑張っても上手くいかない松子は徐々に自暴自棄になって行きます。

私の周りでよく「適切な距離の取り方が分からない人」という表現を聞きます。

おそらく私もそう形容される一人ですが、その様な人には大体これに似通った背景があると考えます。

 

自分を愛する為に必要な事

『自分で自分を愛してあげよう』と言うアドバイスをたまに耳にします。

しかしそれが出来るのは、ある程度他者との相互関係で自己肯定感が育ってからの段階の話であり、地盤に「自分はありのままでも価値ある存在なんだ」と感じる体験があってこそ。

少なくとも作中の松子の心中に関しては、そんな余裕は皆無でした。

周囲から手が差し伸べられ、松子自身がその手を握り返そうとする頃にはもう時すでに遅し。この作品は実に現実的な幕引きを迎えます。私はこの救いの無いラストも含めてこの作品が大好きです。

 

ここからネタバレ大オチ

松子の人生の幕引きとは別で、後半に作品としての大きなオチがあります。

この作中で2時間に渡って語られる松子の人生ですが、その松子の部分の語りの全ては晩年の松子が自分で紙にしたためていたものだったのです。一体誰に宛ててしたためているのかと言うと、晩年に松子が愛したたった一人の人・・・。

そう光GENJIの内海くん」です。

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そう、内海くんです

勿論、ただのいち視聴者でありファンです。

その内海くんに「自分の人生について知ってもらいたいから」と言う理由で、膨大な量の手記を綴り(多分ジャニーズ事務所に)送ります。

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この量しかも手書き。松子は知ってほしいの。

この大オチは実に秀逸で松子の常軌を逸する程の承認欲求の強さがコミカルかつ非常に的確に表現されていると感じます。

 

まとめ

この壮絶な物語を、この色使いでこの世界観で、時にコミカルに時にはMVのようなスタイリッシュなテンポの良い場面展開で、壮絶なリアリティとその対極にあるファンタジーを絶妙に織り交ぜて描ききった中島哲也監督

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↑これからの、まさかのこれ↓のコントラスト

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僭越ではございますが、称賛の意をこめて以下の言葉を献上いたしたいと思います。

 

『狂ってる』

 

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この、愛されたかったのに愛されなかった愛すべき松子の一生

ここまで読んで下さった方がもしいたならば、大オチを知ってしまったかと思いますが、文章では描き切れない部分が多分にある作品ですので、興味が沸いた方がいらっしゃれば是非。