20年前不登校だった私が体験談を語るブログ(仮)

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

挫折を強みに弱さを優しさに ~故・金馬宗昭先生に捧ぐ~

不登校だったみつまりですどうもこんばんは、初めましての人は初めまして。

 

こちらのブログは、20年前に不登校だった私が現在絶賛不登校中もしくは超絶引きこもりまくりな貴方や不登校のお子さんをお持ちの貴方、自分も昔不登校だったよっていう貴方に向けて書いています。 

 

本日は、記事タイトルの通り昨年末に他界された恩師についてお話したいと思います。

個人的なFacebookに掲載した文章を加筆修正したものです。

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なぜ良い人ほど短命なんでしょう

いえ、そんな事頭では分かってるんです

でもなんでこうなるのかな、って。 

 

15歳で不登校になり

「学校大嫌い」「教師は利用してなんぼ」

なんて思っていた私が後に恩師として生涯慕う事になった方が、他界されました。

 

ご自身が人生の中で大きな挫折を経験し、ひきこもりとして苦悩してきた体験を、その後の人生の中で最大限に活かして来られた方でした。

 

私達のような「人生ドロップアウト組」を受け入れてくれるような場所がまだまだ少なかったあの頃理解してくれる大人なんて居なかったあの頃に

 

ふと現れて、気付けば
隣に静かに寄り添ってくれていたような人でした。 

 

通信制高校の非常勤講師から教頭を経て、不登校や引きこもりの当事者と、その家族を支援する事業所を立ち上げたばかりで

遺作となってしまった
不登校 ひきこもり こころの道案内』は

昨年の7月が初版で


きっとご自身の中でも、人生まだまだこれからだったのではないかなと思います。

 

数年前に伺わせてもらった『不登校引きこもり親の会』という所で開催された講演会で、先生は自身の経験を語り、現在苦しんでいるであろうまだ出会っていない人達の心を想像し、堪え切れずといった感じで溢れる涙を抑えながら「お子さんがたの辛さをどうか分かってあげて欲しい」と訴えるようにお話されていたのがとても印象的でした。

 

当事者だったからこそ分かる、当事者にしか分からない辛さに寄り添う事の出来る、強さと弱さと途方もない優しさを内に秘めているかたでした。

 

通信制高校在学中
根っから人が集まるところ嫌いのひきこもり体質だった私はバイトだの何だのでまともに通学する事なく、先生にとって私は育て甲斐のない生徒だったと思います

 

一期生として初めて関わった日から、年を重ねるごとにお忙しくなっていった先生にとって、私は何百人何千人と出会ってきた生徒のうちの一人でしかなかったと思います

 

でも、私にとっては
人生の要所要所でふと顔が見たくなるような、そして、数年ぶりに会いに行ったら私の事をちゃんと覚えてくれていて、いつも変わらない笑顔で迎えてくれる
そんな人でした。

 

毎年送ってくださる年賀状には
「元気ですか?また会いたいね!」と
必ず一言を添えてくれていました。

 

通信制高校時代に同級生が他界し、その知らせを聞かされた後、皆が散り散りに教室を出ていく中、まだまだ幼くて、あまりの驚きとショックで涙が止まらずいつまでもその場から動く事が出来なかった私に
「僕も知った時は凄くショックでね・・・」と
私が泣き止むまで、自分の胸の内を語りながら長い時間ずっと傍に寄り添ってくれていたのも先生でした。

 

なんだ、私と一回りも離れていなかったんだなぁ・・・

とか

 

ああ、先生と私が出会ったのは先生が28の時だったのか、あの時の先生は今の私より9歳も下だったんだなぁ・・・

とか

 

生徒の成長も楽しみだっただろうけど
一番の楽しみは、これからまさに
自分が見てきた生徒達と同じ年頃に差し掛かる
息子さんと娘さんの成長だったんじゃないかなぁ
とか

 

回想し始めるとキリがありませんが
先生が他界した衝撃や哀しみを分かち合える友人がいるのも、あの頃、あの場所にいた先生達が私達の関係を繋いでくれたお蔭なんだろうな、と。

 

私は「亡くなった先生の分まで生きる!」
なんて宣言できるような人間ではないし、いまだに人生迷走中ですが

 

弱い分だけ優しくて強かった先生をお手本の一つとして、これからも人と関わり残りの人生を歩みます。

 

先生、また会いたいです。

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金馬先生の生前のご活躍は、私がこのブログを始めようと思った原動力の一つであり、こちらの記事に書いた想いは自分なりの弔いでもあります。

 

というのも、先生が他界された後、有志の方々により先生を偲ぶ会が開かれたのですが、これだけの長文をつらつらと綴っておいて何なんですけれども、当然行く予定にしていた私は当日になりまさかの「理由特に無し」で欠席。

 

自分でも何なのマジアリエナイという感じですが、そんなぐだぐだな部分も含めて自分なんだなと受け入れて、今の自分に出来る事をしていきたいと考えています。

 

世間はお盆という事で、だからという訳でもないのですが・・・僭越ながら、この記事を通して生前の先生の情熱がどなたかに伝われば嬉しく思います。